31歳になったばかりの春にある社長に言われた。
「わが社に来てほしい!」
丁重にお断りした。
というか腹の中ではこう思っていた。
「俺は今の会社で偉くなる。なぜそれを捨てて零細企業に??」
誘ってくれた会社には社長と奥さんそして事務員しかいなかった。
その社長はコピー機を買ってくれたお客様の一人である。
数か月後には飲みに誘われた。
社長の考えや今後の展望をじっくり聞いた。
とはいえ半分以上理解していなかった。
覚えているのは魚介類がうまかったことくらいだ。
一週間悩んで条件を聞いてから最終決断しようと思った。
社長に会って「お世話になろうと思います。(条件を聞かせてください)」と言うつもりだった。
が前半を言っただけで偉く喜んでくれて
「専務取締役で年収は今の1.5倍でどうだろう?」と聞く前に条件提示された。
そう言われては「よろしくお願いいたします。」と言うしかない。
即答で頭を下げた。
社長はたいそう喜んでくれた後々までこう言った。
「芳永君は条件も聞かずにウチに来てくれると言ってくれた。」
ついでに250万の新車まで買ってもらったから本当にありがたかった。
前職の退社手続きを経て2カ月後から死ぬ気で働こうと思っていた。
社長は人格的にも経営手腕も最高だった。
当時は商社系しかなかったドコモショップの2店舗目をキャリアの支店長から直々にオファーを受けていた。
私の役員人生はショップ店長と言う肩書とともにスタートした。
1993年ショップが開店する直前に他地域の店舗を視察に行った。
月間100台も売れるという。
当時の携帯電話は1台10万円でその他に加入権が24000円。
通話料金はなんと6秒で10円だった。
社長と二人の帰り道「まずは月販50台を目標にしたいなぁ」と話していた。
ふたを開けるとトンデモナイことなった。
携帯バブルが起こったのだ。
販売数は倍々ゲームで伸び続け逆に価格はどんどん低下してタダで配る時代まで訪れる。
月販50台どころが最高時は2400台の新規契約を獲得できた。
一番いい時代だった。
それに伴って従業員や拠点も増えた。
私にとってのマネージメント経験は数名の係長どまりだった。
役員で20名を超える社員と複数拠点を見るのは骨が折れた。
店舗の運営や30社以上に膨れ上がった代理店の管理などもあって時には心まで折れそうだった。
順風満帆のようなこの時期に二つの転機が訪れる。
一つは多分今後も話すことはないだろう。
もう一つが息子の死だった。
息子の突然の死を通して私は何よりも「時間の使い方」を考えざるを得なかった。
今一分一秒を刻む時が自分にとって何であるのか?
それを後に振り返る自分が納得できるのか?
息子はそれをずっと私に問い続けている。
今朝も仏壇の写真に今をどう生きるかを相談している。
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